マイナスな私・プラスな私

昨日の記事は、
「マイナスな私から降りてしまう。」というアプローチを
図を使って書いてみました。

今日は昨日の「マイナスな私をプラスな私に変えようとする図」を
別な角度から見てみたいと思います。

プラスな私、マイナスな私a-4

この図を、ちょっと回転させて・・・

プラスな私、マイナスな私a-3

横にしてから・・・

a-2

拡大して見てみると・・・

a

マイナスな私もプラスな私も
「私」というふうにくくって名前をつけた空間にある点にフォーカスしたもので

どちらかが「本当の私」とかではなく
どちらも「私」が表現する「状態」なだけ

ということにあらためて気づくことができます。

 

 

マイナスな私から降りてしまう

私たちは、自分の感情や状態にレッテルを貼ります。

輝いている私
らしくない私
素敵な私
ダメな私
etc…

それらはプラスな私とマイナスな私という
2グループに分けられるんじゃないかと思います。


そして、
マイナスな私をプラスな私に変えようと頑張ります。

これを図にしてみると、
0のラインより下にいるマイナスな私を
0のラインより上のプラスな私に持っていく
という感じです。

プラスな私、マイナスな私01

この0のラインは、

プラスのエネルギーとマイナスのエネルギーの中間地点であり、

どちらにも偏っていない状態です。

 

この「偏っていない」に着目して、
プラスとマイナスという分け方ではなく

偏りがある・偏りが無いという分け方にしてみます。

 

感覚としては、

「偏りや拘りのない自然な状態」を地面のようにイメージすると良いかもしれません。

プラスな私、マイナスな私2

そうすると、
プラスな私もマイナスな私も
「偏りのある状態」として同じ側に位置します。

クリアリングで、
「マイナスだけではなくプラスもクリアリングしてください。」
と言われるのは、
偏りという意味ではプラスもマイナスも同じ側にある
ということからですね。

プラスな私、マイナスな私2-5

そして、
この図が示してくれるのは、
マイナスな私をプラスな私に変えたり、持ち上げたりするのではなく、

マイナスな私から降りて、
深いとことにある「偏りのない囚われのない私」に戻る
というアプローチです。

プラスな私、マイナスな私3

もともとある「その状態」へ戻る。

偏りが無いというベースの上に色んな形で湧き上がる偏り。
その偏りが苦しいものであれば、
その偏りから降りてしまう。

どこかに向かっていくことで解消するのではなくて、
その場でただ降りてしまう。

「気づいて、ただ手放しなさい。」と言われるのは
そういうことなんじゃないかなーと思います。('ω')
 

 

ダンス

いつから踊っていたのか、
いつ踊り始めたのか、
覚えていない。

周りを見ると、みんな踊ってるし。

でも、よーく見ると踊り方が違う。

次から次へと湧いてくるものに振り回されながらダンスする人。
耳と目と口を塞ぎながらただダンスする人。
湧いてくるものとどうダンスするか?を考え、コントロールしようと努力してる人。
湧いてくるものをただ眺めて、踊りたければ踊るし、そうでなければ眺めて終わる人。

ステージから降りるというのも出来なくはないけれども・・。

はてさて・・わたしは(あなたは)、どうしたいのだろう?

 

 

起点

心がどこか遠くに行ってしまったり
頑なになってしまったりしても
だいじょうぶ。

そんな自分に気づいたら
今ここに戻ってくる。

どこか遠くに意識が行ったり
頑なになっているということが
今ここでただ起きている・・ということを思い出す。

どうすればいいかではなく、
どうありたいか。

今この瞬間のあり方に気づく。

そこが起点。

 

 

底にある起点を承認すると・・

広島から戻ってきてしばらくしてから
だんだんと意識が縮まっていく感覚のようなものがあって、
何だか息苦しさみたいなものを感じてて・・

「うわー、これ嫌だなー・・」と思って、
心理的なアプローチ、身体的なアプローチの両面から何とかしようとしてたのだけど、
何ともならない!(笑

一時的に軽くはなるけど、
すぐ息苦しさが戻ってくる。

「うーん・・これは何か違うんだな。多分。(- -;)」と思って
”意識が縮まっている感覚を何とかしようとする”のをもう止めてみよう!と試してみる。

・・・が、
意識が縮まった感覚からくる息苦しさは
やっぱり残ってるわけでー・・。

はぁ・・もう・・・ ( ´・ω・)=3
となって、フッと気づいた。

「意識が縮まってるのはダメだ」っていう発想が起点になってるって。

なるほど・・。
ってことは、「意識が縮まってもいい♪」なのか。
たしかに全体で起きることがただ自然と起きているんだものね。
('ω')

そう思って、
視点を変えて、イメージを変えて、姿勢を変えて、呼吸を変えて・・、
としていくうちにリラックスできてきて、
意識が縮まった感覚が解消されてきて、
やる気も沸いてきて、

いまこうやってブログ書いてます。(笑

発想の起点にちゃんと気づく。
そして
その起点をそのまま承認する。(こわいけど(笑))

日々練習、日々実践ですね~。

 

 

Body・Mind・Spirit ⇒

Body(身体)・Mind(思考)・Spirit(魂)
どのアプローチでも
最終的に『リラックスの大切さ』に行き付くと最近は思います。

何かを目指すためでなく、
何かを達成するためなく、
ただリラックスして、
くつろぐ。

その静かで豊かな0(ゼロ)の空間に立ち還る。

そこから、
創造する。
体現する。

 

 

私というフィクション

「全体」から見たら、私はフィクションになります。
「私」から見たら、「私」と「私以外のもの」になるので、
全体は消えてしまいます。

普段わたしたちは、確固たる「私」という枠を感じていますが、
この枠が実はとてもあいまいなものである
ストーリーによって形作られた幻の枠である
という気づきを深めていくこともできます。

その気づきや感覚が深まると、
自然と心は軽く穏やかなものに戻っていきます。