静かな人は自然と静かで、熱い人は自然と熱い

とてもゆったりとして静かな人だったり
チャレンジ精神があって熱い人だったり
タイプは様々ですが、

自然な人は魅力的だなと
最近思います。

そういえば、以前読んだヒーローズジャーニー(英雄の旅)の本に

英雄は、人生からの呼びかけに応えて非凡な状況に挑む普通の人。
闘士は、自分が正しい世界地図だと考えた理想を目指して闘っている人。
英雄と闘士とをハッキリ区別しておくことが大事。

と書かれてたのをふと思い出しました。

自然な人は、

好きなものや大事にしていることを語ってくれたり、
「一緒にどうですか?」と紹介してくれたり、

”お誘いする”というアプローチが多い気がします。

「これ良いから!」
「これが正しいから!」
といって地図を押し付けたりはしないんですよね。

自分は出来てるんだろうか??と考えると・・
まだまだだなぁ・・という気がします。
(゜▽゜;) アハハー

 

シーソー再び

「頑張ってはいけない」・「頑張らなければならない」のシーソーの話を
以前ブログに書きました。

頑張る⇔頑張らない

価値観のシーソーって、
無意識レベルのものなので
自分がシーソーに乗ってること自体に
気づけなかったりします。

昨夜もそういうことがあって・・。

久しぶりに気楽に何でも喋れるコーチ仲間に
話を聞いて貰っているときに

「自分が解決しないと!」 という
無意識パターンが自分の奥にあることに気づいて・・

その後すぐに
「解決しないといけないの?」という言葉が
自分の口から出てきて

へっ?! Σ('◇' )

と思わず言ってしまいました(笑

どうやら、
「自分が解決する。」・「自分が解決しない。」というシーソーがあって、

「自分が解決する。」のとこに固定して、
持ち歩いていたみたいです。

(´・ω・) .。 (そら、しんどいわー・・)

無意識レベルで自分が持ち歩いてた
価値観・前提に気づかせてくれたコーチ仲間に感謝ですね。

ありがとう。

 

目標や到達地点よりも・・

最初に目標を立てる。

というのを
クセでやっちゃいます。

そういう手順を踏むよう
色んな形で教えられたからだと思うんですけど。

最近は、
目標はオプションだなー
と思うようになってきています。

目標よりも方向。

どちらに進むのか?
どんな感じを大切にするのか?

が方向。

その方向へ進んでいったときに
形作られてくるもの
見えてくるもの

が目標。

 

どんな「私」で

☆☆な私が
○○○○という立場にいる私が
×××という仕事をしている私が

何かをする・人生を歩んでいく

のではなくて、

人生を経験する・味わう上で

今、×××という仕事をするご縁にある私
今、○○○○という立場に位置している私
今、☆☆な状態にある私

という捉え方。

目の前にある出来事や課題に取り組むとき、

「人生を経験する・味わう」を固定すると
「私の仕事」「私の立場」「私の状態」は
与えられた道具でありオプションになる。

 


ちょっと思い返してみる。

私は(あなたは)、
目の前にある出来事にどんな「私」で臨もうとしていただろう?

そして、感じてみる。

今、目の前にある出来事にどんな「私」で臨みたいのだろう?

 

 

自信や情熱や感謝

情熱的な私が「私」だと思うと
情熱的じゃないのは私じゃない!ってなる。

どこか不安なのが「私」だと思うと
もっとしっかりしなきゃ!ってなる。
 

「私」が物理的に存在するものではなく
幻想や概念であるならば

情熱的だったり
不安だったり
従順だったり
批判的だったり


というのは、
その状態が
今この瞬間起きているだけ
って捉えることができる。

だから、

情熱も
自信も
感謝も

湧いてくるって表現する。

それらが湧いてくる

位置に
タイミングに
ご縁に

私が(あなたが)いる
ということ。
 

 

「私」の輪郭

「掴んでいるものに気づいて、手放しなさい。」

自分自身を深く探求したり
クリアリングを実践したことがある人は
聞いたことがあるフレーズかもしれません。

「私」が物理的に存在するものではなく
幻想や概念である
という認識が深まると

この「掴んでいる手」のほうの輪郭がぼやけてきます。

するとギュッと掴んでいた力が緩んで
手放しやすくなります。

分かってるけど手放せないという状態は
掴んでいる「私」の輪郭がとてもハッキリしている状態だからこそ
起こることかもしれません。

 

 

「私」というもの

「私」が確かにいる、という感覚を
誰もが持っていると思います。

でも、この「私」というものは
物質的に存在はしていません。
(物質的に存在しているような錯覚はありますけども)

それは、
スピードとは何かを調べるために
車をいくら分解してもスピードというものを
取り出すことが出来ないのと同じです。

スピードとは状態であり、活動の様子を表すものです。

「私」もまた状態であり、活動の様子を表す1つのくくりである。
という考え方・感じ方から眺めて感じてみると

いつもと違う景色・感覚が拡がっていきます。