自由と知識と学び

生まれたとき、
出来ることはすごく少なかった。

何かを身に付け、学び、
出来るようになることで
自由が広がっていった。

何かを学びながら、
何かを身に付けながら、
いつの間にか
沢山のルールも学び、身に付けた。

気が付けばルールに縛られ
自由が狭まってしまっている。

学ぶこと、
何かを身に付けることは
本来
自分の自由を広げるものだったのではないだろうか。

自分にとって自由をより制限するものなのか、
自分にとって自由をより広げるものなのか。

そして、自分が学んだことや知識を
今この瞬間、
制限するほうに使っているのか
広げる方に使っているのか。

たまに立ち止まって、「どうだっけ?」
と自分を振り返っています。

 

 

静けさから

静けさから始めるのが好きです。

何かイライラを感じたり、
考え込むようなことがあったり、
漠然とした不安の中に入ったり、

そんなとき、一旦静けさに立ち還る。
そして、静けさにシフトしたら

現状を改めて観てみたり、
どうするかを考えたり、
プラスの意味づけをしたり。

静けさが、ベースなんだと思います。

 

 

頑張る⇔頑張らない

昔は、頑張ることが正しいと思ってました。
色んなことを学ぶうちに、頑張らないことが正しいと思うようになりました。
今は、どっちを選んでも良いと思ってます。

シーソーの右側に乗るのでもなく、
左側に乗るのでもなく、
シーソーそのものから降りてしまう。

そして、
人生を味わうこと・体験するために生きること
を中心に据える。

例えるなら・・

きのこの山じゃなきゃ!でもなく
たけのこの里じゃなきゃ!でもなく
お菓子を味わうことそのものを楽しむ♪
です。

(モヤっとしたあなたは、たぶん、きのこたけのこ戦争のシーソーに乗っています(笑))

P.S.

シーソーに乗っても良いんです。
「シーソーに乗る/シーソーから降りる」も自由に選べたら便利だと思うんです。

 

 

やりたいこと!のヒントと可能性

「私がやりたいことって何だろう・・?」

この頃思うのですが、
自分のコンディションが良いときもイマイチなときも
誰に言われるまでもなくやっていることの中に
ヒントがあるなぁ・・と。

もちろん、必ず見つかるというわけではないです。
検索アプローチの1つとして「あり」だなと思うんです。

ストレス解消のためだったり、
思考や心を整えるためだったり、
自分の気持ちを一旦リセットするためだったり、
そういうときに”それ”をしている。
そして、
自分のコンディションが良いときは、
”それ”を通して
”それ”を使って
まわりの人を助けたり笑顔にしたりしている。

例えば、”それ”が
”歌を歌う”の人もいるでしょうし、
”植物と触れ合う”の人もいるでしょうし、
”武術の体さばきの修練を積む”の人もいるでしょうし、
”声にならない声に耳を傾ける”の人もいるでしょう。

あまりにも自然とやってきたことなので、
『これが好き!』という自覚が薄いかもしれません。
以前からやっていたことなので、
『これこそがやりたいことだったんだ!』というスペシャル感が無いかもしれません。

でも、よーく考えてみると
『何だかんだ言っても好きでやってるんだよね。』
ということなんじゃないでしょうか。

そして、
培われたものが
必要としている人に届けられることで、
スペシャルなものになる。

そういうことかもしれません。

 

 

エゴ

”エゴ”も
”起こることがただ起こる”の視点から見れば
ただ起きている現象のひとつなんだよね・・たぶん。
と・・最近は思う。

 

 

即興ダンス × 即興音楽のパフォーマンスを観て

先日、とあるパフォーマンスイベントにお誘いいただきました。

 

どんなパフォーマンスかというと

インプロビゼーション(即興)のパフォーマンス。

ダンスもBGMも即興。

 

なので、

あるのは

そのとき限りのダンス×音楽の空間。

 

あらかじめ用意されたストーリーやメロディはどこにもない舞台。

 

 

観始めて何かモヤッとイライラとする自分がいて、

何だろこれ・・・って内側に意識を向けて分かったことは

『分かろうとしている自分』がいること。

 

 

Σ(゜▽゜)「あー・・・、それは無理よ・・(笑)」

 

とセルフ突っ込み。

 

 

意味づけされてないもの、ストーリーが無いもの

それが刻々展開されていく。

 

そこに意味やストーリーを「分かろう」としても

そもそも「無いもの」を分かることは出来ません。

 

自分の感覚で意味づけやストーリーを見出すことはできますけど。

(※意味づけやストーリー付けそのものに良い悪いはありません)

 

ただ、

ストーリー付けをするのも何かちがうなーと感じたので、

モヤモヤやイライラをちゃんと感じながらも

グッと踏み込んで

ただ眺めるということを意識してみることに。

 

 

 

しばらくは、何とか分かろう,意味づけしようとする自分がいたのですが、

だんだんとそれも薄れていき、

 

後半はただボーっと眺める感じに。

 

 

そして

次何が起こるのか、

パフォーマンスを観て自分の中にどんな感情や感覚が沸くのかを

静かにワクワクしながら

眺めるようになっていました。

 

 

 

 

 

起こることがただ自然と起きている。

そして、

分からないからこそ面白い。

 

 

そのことに思わぬ形で向き合うことができて

面白い時間でした。