超えるのではなく、還る

「わたし」という意識の波紋。
それをうつし出している命という空間。

このことが分かってからも
イライラたり、自分をやたらと評価する自分にまみれてみたり・・・。
瞑想もやる気にならない。

今考えてみると、
「わたし」という意識を超えて
ただ静かな空間へ行こうとしていたんだと思います。

そして、それは方向が逆でした。

超えるのではなく、還る。

「わたし」という意識が生まれる前の頃の感覚を
思い出す、イメージする。

例えば、
ただ安心感とともに
そこで寝ていたこと。
その感覚。
その呼吸。

誰もが、「わたし」という意識が生まれる前を過ごしています。

それを思い出し、
呼吸する。

ただそれだけです。

 

 

ほんとうに好きなことの見分け方

ほんとうに好きなことって、
それをやり終えても疲れを感じてなかったり、
逆に元気にになってたり、
そんな風になる気がします。

楽しいと思うこと、
これ良い!と思うこと、
やり続けたいと思うことを
一つ一つ 「やり終えてどうなってるか?」 という基準に照らし合わせてみると
何か気づけることがあるかもしれません。

 

 

ストーリーと目覚め

人生は「わたしという意識」が見ているストーリー。

そして「わたしという意識」の力で、
そのストーリーから目を覚まし抜け出すことは出来ない。

であれば・・、
目を覚ますことを目指そうと
そうでなかろうと
ストーリーを楽しんだほうが良いよね。

(・・とそんなことを考えてるのもストーリー)

 

 

学びとときめき

あ・・この人に会ってみたいな、とか
ゆっくり話をしてみたいな、とか

そんな感じで「学び」を選ぶ。

役に立つから、とか
チャンスを逃して損したくない、とか

そんなんじゃなくて。

その学びが
その学びの場が
ときめくものなのかどうか。

 

 

デス・カフェ開催しました

昨日(4/19)、
鹿児島市内でデス・カフェを開催しました。

デス・カフェはスイスで始まったもので、
「死」に関するトピックについて、お茶を飲んだり、
ワイン片手にナッツをつまんだりしながら語り合う場。

死と生はコインの裏表のような関係だと思っているので、
死ということ・生きるということについて
自分のもつ死生観を語っていただく場として設けました。

「生きる」ということを講演劇という形で全国へ届けている白石いづみさんに
死生観についてインタビュー形式でお話ししていただき、
その後、
◇「死」と聞いてイメージすること
◇どう生きる?
について参加者全員で語り合うという2部構成。

あっという間の2時間で、
終わってからもお店の入口で立ち話を続ける方がいらしたりと
実のある時間でした。

参加者の皆様、ありがとうございました。

 

 

全てに対してYesのスペース

嫌われるのが怖いと感じた自分との対話を書いています。
初めての方は、コチラからどうぞ。

波紋=思考や感情
水=思考や感情が在るためのスペース=わたし

水の上には様々な波紋が生まれます。
私たちが望む形の波紋も、望まない形の波紋も。

水は、ただそこにスペースとして存在する。
波紋のえり好みはしない。

別な表現をするならば、全ての波紋に対して「Yes」である。

以上が、自分との対話の末に私が感じたこと、感じたイメージです。

・・・で、
最初の「嫌われるのが怖いと感じたこと」はどうなったのかというと、
『嫌われるのが怖いと感じてもいい』になりました(笑

嫌われるのが怖いと思ってはいけない!でもなく
嫌われるのが怖いという感情を受け入れなければならない!でもなく
「感じてもいい」

思考や感情を「現象」として観ることが、
依然と比べると楽にできるようになったようです。

それでも、
様々な思考や感情が次々と私の上に起こり、
ときにはそれにまみれたりしながら
これから歩んでいくんだろうなーと思ってます。

 

 

水面と波紋

われるのが怖いと感じた自分との対話を書いています。
※初めての方は、コチラからどうぞ。

本当のわたしって思考?それとも感情?

うーん・・・
・・・・・
・・・
・・

(いい加減考えるのも疲れて頭まっ白になったときに
 フッと浮かぶ、水面と波紋の絵)

あ・・・
そういうことか。

思考も感情も水面に現れる波紋と同じだ。
音が在るためには空気が必要で、
波紋が在るために水が必要なように、
思考や感情が在るために必要な 「スペース」がわたしの本質。

わたしという自我が生まれる前から
そこにあって
それそのもは何の性質ももたない。

おー・・なるほど~。
ん?
ということは・・?

うん・・今こうやって「考えていること」それ自体も波紋。
つまり、「スペース」そのものには
思考や感情ではたどり着けない。
常にその上に現れるものだから。

水面にある波紋が消えたときに
はじめて水という空間そのものだけになる
って感じかな?

そうだね~。

嫌われるのが怖い,がっかりされるのが怖いと思っていたことも波紋。
思考や感情も波紋。

ただ、
水にあたる本当のわたしは、その後ろに在って今もただそこに在る・・・。

—–

たぶん、
本当のわたしは、
普段「わたし」と認識している思考や感情のレベルではアンタッチャブルなもので、
学んだり何かをしたりして触れられるものでは無いこと。
でも確かにある。

例えるならば、
遠く川の向こうに確実に岸があるのが分かっていて、
それをこちらの岸から眺めているような
そんな感覚でした。

>つづく