違いは否定?

他人と自分との間に意見や価値の違いがあったとして
そこに色んな思いがあったとしても

それは「違いがある」ということで
あなたのことを否定するものではないと思うのです。

例えば、
あなたが塩ラーメンが好きだとして
誰かに「ラーメンは、やっぱ豚骨だよね!!」と言われたとき、
「塩ラーメン好きな私って、やっぱ駄目なんだな・・・」って思わないですよね?

あなたの存在を否定するものではなく違うだけ。

そう捉えると意見や価値の違いに直面したときにも
反発したり自分を卑下したりという内側からの反応に流される前に
ぐっと踏みとどまって考えやすくなるんです。

 

 

楽しむ

余暇を楽しむ。
余生を楽しむ。
人生を楽しむ。

「(誰かに、何かに)楽しませて貰う」ではなく、
「(自ら)楽しむ」が大切なのだー!
・・と思います。

 

 

x=C

x=Aだったものが

x≠Aという認識になったとき、

AのところにBを持ってきて

x=Bを新しく作ろうとするとき、

本当にBだけなの?という「問い」も必要だと思う。

 

x=Aからx≠Aになるときに多くの場合、

混乱や驚きっていうメンタルの揺らぎが発生するのだけど

そういうときって新しいパターン(例えば、x=B)が

潜在意識に入りやすい。

 

新しいパターンが作られることは良い事。

それは、学んだということであり、成長だから。

 

ただ、

蟻の目ではx=Bしか選択できないものが

鳥の目だとx=Cっていう選択肢が見えてくるかもしれない。

 

だから、いつ何どきも

「自分を感じ」,「自分で考える」ことの深さを大切にしたいと思うのです。

 

 

行動にうつせないとき

行動力がある
とは、
「そのことについての制限が少ないこと」とも言える。

行動に移せないと感じるとき、

不足してるものを追加するやり方もあるし、
制限かけているものを解いていくやり方もある。

 

 

学習と変化にかかる時間

「成長」とか「変化」とかって聞くと
少しずつ目に見えてくるもので
一瞬にしてそれを手にするってことに
何となく違和感や抵抗感を感じる人もいる。

自分もその類の人間。
以前と比べるとだいぶ抵抗感が薄くなってきたけど(笑

何かを学習し、それが変化として現れる。

自分のことを振り返ってみたときに
このときの「学習」や「変化」を
大雑把なひとくくりのイメージにしてることが
その要因の1つだったかもなーと思う。

学習や変化の中には、時間や練習が必要なものもある。
例えば、逆上がりとか自転車に乗るとか
身体で覚えるもの。

一方で、一瞬で変化するものもある。
例えば、そのものに対する価値観とか好き嫌いといったもの。

例をあげるとー・・
幼い頃、こんなの不味くて食べられない(飲めない)と思ってたもの。
それはゴーヤかもしれないし
たまたま口につけたビールかもしれない。

幼いころに口にした経験で
ゴーヤ(ビール)= 苦くて不味い
と学習する。
それ以降は、口にしようとしなくなる。
(すなわち「変化」)

でも大人になって何かのきっかけで
それまで何となく食べなかったゴーヤ(ビール)を口にしてみたら
「あれっ、これ意外と美味しいじゃん。」
となる。(体験からの「学習」)
そして、さらに箸を付ける。(「変化」)

学習と変化は一瞬。

人や事象に対する好き嫌いも
ほんとは一瞬にして変えられるんだと思う。

感情的には「えーッ?!」って感じかもしれないけど
脳の仕組み的には、一瞬なんだよ。
うん。

もちろん、
変化しないことで護ろうとしているものがあればそれをケアしたり、
想いや感情・思考を整理したりが必要だと思います。

 

 

視点

何か物事に取り組むときに

結果を出すことにフォーカスするのも

1つの方法。

 

その事に取り組む事で

自分がどのように成長していくか?

にフォーカスするのも1つの方法。

 

いずれにせよ

足取り軽く歩んで行ける視点を持つよう

心がけたいと思います。